入賞作品

女性のたくましさ!? を再認識するようなエピソードです。男性よりも適応力が高いとよくいわれます~(女性編集部員談)。またぜひ、思い出の地、ハワイへおふたりで記念旅行にでかけてください。

「お腹がすいた!」

松下 弘美さん(50才、兵庫県在住)

新婚旅行も兼ねて、僕たちはハワイで挙式をした。

初めてのハワイだったので、泳いだり、フラダンスを見たり、ダイヤモンドヘッドに登ったり、いろんな計画を立てた。その中でも一番のメインが潜水艦ツアーだった。造船所で潜水艦を見たことはあっても、潜水艦に乗って海の底を航行するという経験はしたことがなかった。

「スキューバじゃなくって、海の底を行くって楽しみ」妻も、声を弾ませた。

ハワイでの潜水艦は、接岸されている岸壁からひょいと乗るものではなかった。大きなボートで沖合まで運ばれ、そこでやっと潜水艦に乗りこめる。けれども、運の悪いことに、その日は海が荒れていた。ボートは揺れに揺れた。妻は気分が悪くなってうつむき、口元を手で押さえた。

ターバンを巻いた外国人がハンカチとビニール袋を差し出した。別の大柄の白人は水のペットボトルを差し出した。吐くことはなかったが、妻は水を一口二口飲んだ。 やっと乗り込んだ潜水艦は海へ潜ると静かだった。海上の揺れが嘘のようだった。海底は暗いかと思っていたが、意外に明るい。

「海の底には光の七色のうち青色しか届かないんです。だから、こんなに青く見えるんですよ」ガイドが説明した。

ハワイの潜水艦ツアー
(写真はイメージです)

魚の種類も多くて、日本でも馴染みの魚から原色のカラフルな魚まで様々だった。

「日本人だったら、これ、みんな、生のまま食べたいでしょ」と言うガイドに潜水艦ツアー参加者約二十人が笑った。「食べたいです」と返すと、また大爆笑が起こった。

浮上してからまたボートに乗り換え、港まで帰るまでの間に、妻は少しだけ吐いた。

「オーケー。オーケー」と周りの人たちは好意的だった。

港に着くと、妻が言った。

「お腹がすいた」

驚いた。でも、それが赤ん坊を産むことができる女性の強さであるのかも知れなかった。その夜、ハワイの魚を満喫したことは一生忘れることのない思い出だ。

その他の応募作品

「女はか弱い? いえいえ、やっぱり強い!!」
ということを実感させらてしまったエピソードを集めてみました。

ギリシャとイタリアへのハネムーン

川島利恵さん(39才、京都府在住)

私はおいしいものが食べたいとイタリアを選び、彼は子供の頃からギリシャ神話が大好きで絶対にギリシャに行きたいと。

イタリアと言えば、ローマの泉とバチカン博物館です。おきまりのコイン投げをしてそれから階段を歩いているとまず、「ナカタ、ナカムラ」と当時のサッカー選手の名を呼ばれた。次に足の不自由なおばあさんがよたよたしながらお金がほしいとサインした。無視すると場所をかえてすたすたと歩いていった。平然とした顔で同じ事をくり返しており思わず笑ってしまった。

バチカン博物館ではグループになり移動した。歩いていくと彼は「お腹が痛い。」と言い、トイレに行きたくて仕方がないような悲痛な表情を見せたが他の人達はどんどん前へと進んでいたので心を鬼にして「今一人でトイレに行ったら日本に帰れないよ。全くしゃべれないでしょ。英語が。」と強く言い放ち、全て終えた時点でトイレに駆け込んでいた。あの悲しくて苦しくて辛い顔は今でも覚えています。

ギリシャではパルテノン神殿に向かう道路で工事現場のお兄さんがおもちゃのような小さなシャベルで穴を手掘りしていた。歴史的な重要物が埋まっているから傷つけないようにしているのかと2人で感心していた。しかし現場の仕事はいつ終わるのかと心配もした。

夕食の時間になり、今まで見たことのない大盛りアサリのパスタで舌づつみ。殻の多さにびっくりした。その後のデザートだがすいかとぶどうの盛り合わせであった。なんとすいかは輪切りであった。きゅうりと同じ瓜の仲間だからなのか?と不思議に思ったがギリシャ人は見た目にこだわらない人種なのかもしれないとの結論にいたった。

飲めなかったビール

北東強さん(68才、和歌山市在住)

復帰してまもなくの沖縄へ家内を伴った。旅好きの彼女は北海道の宗谷岬までを存じているが、南の方は至って等閑だったからである。

私どもは初夏の沖縄を数日かけて旅したのだが、照間ビーチまで来たとき、沖合に浮かぶのが平安座島だと聞いた。(平安座島、平安座島――。)私はその言葉を反芻しながら、(そうだ、あの時の納入先だ!)と記憶を蘇らせた。1年前に熾烈な競争をして納めた場所だったからだ。

私はとっさに行こうと決めた。言って見学できるならば操業中の機器を眺めたい、それが叶わなければ担当者の声なりとも聞きたい、と考えたからだ。

島までは橋が通じている。それを走るとすぐに正門が見えてきた。私は事情を述べて入場を求めたが、いとも簡単に断られた。東京本社の許可が必要とのことである。テロなどの懸念からそう決まっているらしい。
私はすごすごと引返した。その間家内はずっと無言である。それどころか横を向いていたかもしれず、車が走り出してからも黙っていた。

その日の夕食で、私はビールを飲ませてもらえなかった。旅の空で仕事を思い出した罰だからだ。そう指摘されればそのとおりで、これは俺が悪かったと謝ったがとうとう機嫌は直らず、おいしい地ビールをふいにしてしまったのである。

家内が抗議したとおり、ハネムーンに仕事は無用だった。

予感的中…?

ペンネーム 宇野ゾラさん(45歳、岐阜県在住)

ハネムーンの間、妻は生理中だったらしい。

夫である私は行きの飛行機で酔い、乗り継ぎの飛行機を1便遅らせて、激しい吐き気と闘っていた。ベンチで寝転がりながら、この先が思いやられる予感がしていた。7月中頃のオーストラリアはかなり寒かったため、空港の売店でジャンバーを買って温まった。

ホテルに着くと、突然火災報知機がなり、階段で十一階を急いで駆け降りたら、誤報だった。いい加減にしてほしいものだ。

さて、海辺の砂浜にすわって、海やヨットを見ていたとき、突然妻が言った。

「ない」

「何がないの?」と私。

「(結婚)指輪……」

「なにー!」

砂浜に落としたらしい。手で砂をかき集めて探したが見つからない。近くの雑貨屋でざるを買ってきて、次から次へと手あたり次第に砂をこすこと三十分。奇跡的に見つかった。「あったー!」と叫んだ妻は涙声だった。結婚指輪は二人で選んで気に入ったものだったし、買ってすぐだったのでどうしても見つけたかったらしい。

翌日は、一日クルージングを申込み、船に乗り込んだ。ところが、外洋に出たら揺れに揺れて今度は船に酔ってしまった。妻はダイビングを楽しんでいたが、私はただベンチに座っているのが精いっぱいだった。

帰りの飛行機は酔うこともなく、無事に到着できた。つくづく我が家が一番だと思った。

しかし、結婚十年目になる今年は、またどこかへ二人で旅行したいと思いはじめている。



ハネムーンコンシェルジュに相談