入賞作品

女性の場合、結婚して苗字が変わるとしばらくは慣れないものですよね。それにしても新婚旅行先で、お互いに置いてけぼりにされなくてよかったですね!

「新婚旅行のハプニング」

中尾 光弘さん(78才、札幌市在住)

近くに住んでいる娘がやってきて、来年は金婚式だねと云う。お互い顔を見合うと、いつの間にか妻の頭髪は白くなり、私に至っては抜け毛がひどい。私は五回目の見合いで妻は初回であったが、お互い逢った瞬間一目惚れだった。当時私は二十八歳、妻は二十六歳で当時にしては晩婚であった。

結婚式は五十年前の、確か十一月四日。雪がちらついていた。両親が住む田舎で式を挙げ、新婚旅行は道内随一の登別第一滝本温泉旅館。この日は日柄も善く、私たちのような新婚旅行客などで旅館はとても混雑していた。

旅館についてすぐ温泉に入った。普段からからすの行水の私であるが、新婚の妻を待たせないようにと、いつにも増して大急ぎで風呂から出た。浴衣に着替えようとすると、脱いだはずの浴衣、下着が全てない。従業員に探してもらったがない。同じような浴衣一式が残っていたので、私のように新婚の夜に急いでいた誰かが間違えて来ていったのであろう。

まさか裸で出て行くわけにもいかないので妻に替えの下着などを持ってきてもらおうと館内放送をかけてもらったが、何度かけても、待てど暮らせど妻は来てくれない。一緒にいてくれた従業員も「もしかしてにげられたんじゃないか」と云うような目つきになってきた。

私もだんだん心配になり裸に浴衣だけを着て部屋に戻ると妻がいて「遅いから嫌われたかと思った。」とすねている。

冷や汗かいたで賞
(写真はイメージです)

「下着を盗まれて替えを持ってきてもらおうと何度も館内放送で呼んだんだぞ。」と言うと「あっ私、中尾なんだね。忘れていた。」と陽気に笑っていた。

付き合って三カ月、苗字が代わって数時間では無理もない話しかもしれない。

今でこそ笑い話だが、結婚して数時間で三行半をもらったのではないかと冷や汗をかいた事を今でも覚えている。そんな話しを娘に披露すると、いい年した爺婆が惚気ないでくださいと言われてしまった。

その他の応募作品

友人たちの振る舞いにヒヤヒヤ、飛行機のトラブルにドキドキ、ジェットコースターのような急展開にどうぞご一緒にハラハラしてください。

新婚旅行と酔っ払い

久保覚さん(79才、東京都在住)

私は今年で七十九歳になった。結婚し新婚旅行に出向いたのは、三十歳の秋だった。

新婚旅行にまつわるエピソードといえば、私にも一生忘れられないほろ苦い思い出が鮮明に残っている。

それは、式も終り披露宴に移った時から、何か不思議な空気が漂っている感じがしていた。

と言うのも私は、某大学での悪友共を八名呼んでいたので、宴も終り近くになった頃、宴を盛り挙げてくれる気持は分かるが、お酒も適当に入っていた八名が立ち上り前に出てその上、私まで引き入れて校歌を肩組んでの無礼講で祝ってくれた。

その後、宴の終りに司会者が本日の新郎新婦の宿泊先までプリントした物を配ってしまった。これを悪友共は見逃さなかった。

新婚旅行出発の東京駅のホームでは、その悪友共が再び校歌を唱い、「○○君万才」と大声を挙げた。私はデッキに立っていたが嬉しいやら恥かしいやら穴があったら入りたい気持ちだった。列車は定刻に発車したが席に戻った時、多くの乗客の視線は冷えたものだった。

宿に入り夕食も終り十一時が過ぎ妻と横になり、今日の一日を振り返り話をしていた時、突然に枕元の電話が鳴った。受話器を取ると帳場からでお友達の方からお電話ですと告げられた。すると酔っぱらった声で、「どうだ上手く行ったか、新婚初夜の気分はどうだい」と、次々とリレー式に廻わし私は程々にしろと最後は頭にきてしまい、このお礼は東京に帰ってからするぞと、言い返したが本心は友達の悪ふざけに友情を感謝していた。

妻は何事があったのですかと心配顔だったが、心配はしなくていいよと言って私は妻を抱き寄せた。

その後静かになり新婚初夜の嵐は何もなかったかのように過ぎて行った。

今思えば懐かしくもあり友情に感謝する所大であり、青春の良き思い出として心の底に私の財産として残っている。

古都再訪

原田大吉さん(75才、埼玉県在住)

ここに一葉の写真がある。細雨に烟る延暦寺を背景に撮った妻のポートレートである。私が写真の腕を自慢すると妻はモデルがいいからと雑ぜ返す。遠い昔、新婚旅行の思い出である。

とにかくお金がなかった。貯えもなくよくぞ結婚式を挙げることができたなと現在でも思う。そんな文無しの私の新婚旅行、結婚の祝い金を当てにした無鉄砲冷や汗ものの旅行だった。

ところがその内容はといえば、宿泊は京都の老舗ホテル、観光もタクシーまでチャーターしたというのだから驚く。お金は大丈夫なのかしら、旅行の間中ハラハラしどおしだったと後年妻から聞いた。

ホテルに着いたのは足代をけちり市電を乗り継いだため遅くなった。「豪華旅行」とはまったくそぐわない行動だ。ちょうどあの日はボクシングの藤猛が強烈なKOで世界チャンピオンになった日であり、ホテルに着くなり二人してテレビでその場面を見たことをはっきりと記憶している。

観光タクシーの運転手は初老の気さくな人だった。人生の大先輩、私が無理してたことくらいお見通しだったに違いないが、私たちに親身に接してくれた。南禅寺の近くで昼食も共にした。その後何年か年賀状のやりとりもした。

あれから四十数年、私たち二人とも古希も過ぎた。幸いいまでは年に二、三回は夫婦旅を楽しむ余裕もできた。そうだ近いうちに京都を再訪しよう今度は妻をハラハラドキドキさせないように。

アクシデントのデパート

坂井和代さん(48才、石川県在住)

「では遅れずに羽田に2時間前にお集まり下さい。」にこやかな対応の中いってらっしゃいませの言葉と共に旅行の日程表をわたされた。

新婚旅行先に選んだのはハワイ。羽田発のチャイナエアライン。ゴロゴロとスーツケースを押して羽田国際ターミナルへ向った。なぜかうす暗い出発ロビー。2時間前よりも早くついた私達にチケットをわたす係員が近づいてきた。「私共のミスで時間を間違えてお伝えしました。今から成田の最終のJALでハワイに行ってください。」と。今ならケータイがあるが、24年も昔は限られた人が大きなバッグのような電話をもつ時代だった。

ただでさえ不慣れな東京。二人共、途方にくれた。羽田から成田までタクシーでとばした。ギリギリの時間。やっと成田へ。JALのカウンターをやっとさがしたが連絡がいってないらしく「?」という顔をされた。なんとかJAL便にのれた。

ハワイに着いたらカミナリでホテルのコンピューターがパンクし、チェックインに3時間もまたされた。その頃人気だったハイアットリージェンシーの最上階へスティしたはいいが、スーツケースが部屋に届いていない。

6時間後、他の部屋に運ばれていた事が判明。ハネムーンベィビーを授っかった為、体がダルく熱っぽい私。時差と疲れでねてばかり。新米の夫は起きられない私のベッドに食事を運んでくれた。

5泊7日の後半は体調も戻り予定通りのサンセットディナークルーズやシーライフパークを楽しめた。あまりにもアクシデントだらけの新婚旅行。

なにかの天罰でも下ったかと思ったが、自分達で対処できる力がついたのも確か。来年銀婚式を迎える。二人でもう一度ハワイに行きたいね。と計画をたてている。

間に合ってよかった

坂本隆夫さん(62才、神奈川県在住)

それは、昭和52年のことでした。披露宴を終えたその晩、友人が学校の警備員をしていた商業高校に泊まりました。

朝、起きると、二次会の宴会のお酒が鼻にツーンと残っていました。

新婚旅行に出かけるために、慌ただしく顔を洗い、髭をそりました。スーツに着替え、妻と一緒にタクシーをつかまえて乗りました。

「羽田空港までお願いします」と言うと、 「はい、分かりました」と返事がかえってきました。

「私たち、これから、新婚旅行でグアムに行くんですよ」

「いいですね……」と言い返してきました。

私たちの気持ちはワクワクしていました。

羽田空港に着いて搭乗手続きをとると、

「あっ!ドル紙幣がない!」と気付きました。

「高校に置いてきた服の中に入れたまま忘れてきた!」思わず叫んでしまいました。
急いで、私は、タクシー乗り場に行き、商業高校に戻りました。その間、フライト時間との闘いでした。運転手さんには、事情を話し、少しでも急いでほしいと言いました。

高校に着き、ドルを持ってタクシーに乗り込みました。フライト時間が差し迫っている。時計を見る私。急いで走る運転手さん。どちらも必死でした。

空港に着き、飛行機の近くに案内されると、客室乗務員と妻だけが立っていました。もう、だめかと思ったら、あと数分で離陸態勢になるところでした。

「間に合った!」

私たちは、乗り込み、グアムへと出発できました。

トラブルで始まった旅

山本哲夫さん(66才、和歌山県在住)

空港には、一時間前に 到着。鹿児島行きが出発するのを待った。南九州四泊五日・「新婚旅行」プラン。

新妻とは、お見合い結婚の為(ため)か!少しも馴染(なじ)めず。ロビーの喫茶(サロン)室で談話することに。極力・努めるが、進展する気配は無し。

仕事は営業マンなのに話題(はなし)は、全然噛み合わないので少し苛立(いらだ)つ!当然、この妻(ひと)も不愉快な気持ちである事が察(さっ)せられる!(弱ったなぁ)

そしてアナウンスで私の名前が連呼される。受付に出向くと旅行会社のミスで『W(ダブル)ブッキング』を指摘されるが、どうにか会社担当者と連絡を取り、それも解決を。

気付(きづ)けばこの便に出発するのは、私たち夫婦のみ、急がれて搭乗機(とうじょうき)へ。(一時間も余裕を持って来たのに・・・)

やっと間に合い席に。それから自分自身(じしん)を落ち着かせる為(ため)に手洗い(トイレ)に立つ。戻ってビックリ!席には違うカップルが座り込んでいた。エッ嘘!、どうなっているの?

その男性曰(いわ)く。『Pの席』と『Rの席』を私が読み間違えたとの事。赤面しながら陳謝し正座席に向(むか)う。彼女は冷ややかな様子で私を注視。

「新婚旅行」前のトラブルの連発に。妻の心中(しんちゅう)は、想像しがたい気であった由(よし)。私に述懐されてその都度。私は平身低頭して許しを乞(こ)うた・・・。

先が思いやられる旅行だったが、旅行中、旅行後もハプニングも無く無事に帰路に急いだ――。

当初、妻にこの話をすると失笑された。旅行先の九州でのタクシードライバーの男(ひと)と、けっこう話がはずみ。新妻をあまり構う事をしてもらえなかったのが妻には、や々不満であった様ですネ(今でも思いやりの少ない亭主ですネ)

新婚旅行で会った人は…

丹羽芳香さん(48才、愛知県在住)

私は悪い事をしていないのに、ずっと飛行機内とバス内を居心地悪く過ごしました。もう二十年以上前ですが、そのツアーの中にお見合いして4回ほど会った人が、カップルで参加していたからです。

私はその人のことを結構いい印象として思っていました。がその方の好きなタイプの人は、「元気のいい行動的な人。」ちょっとしめっぽい(?)タイプの私のことは、ちょっと…という感じだったのでしょう。4回で断られてしまいました。

5回目にお会いしたのは、ハワイ旅行の飛行機の中でした。向こうもチラチラみてくるし、こちらも気になってしまうし。笑い話ですが当時私は夫より、その人の方が好きでした。なんか落ち着かない旅行になりました。

二十年以上たって、その人の顔を忘れましたし、私が風邪をひくと薬を買ってきてくれる夫が一番です。いつか、お金を貯めて(貯まるかな)、落ちついた新婚旅行を夫としたいです。

指輪がない!

本山純子さん(40才、長崎県在住)

九州で生まれ育った夫は、北海道への憧れが強く、結婚後初めての夏休みにレンタカーで北海道を横断する旅が、新婚旅行となった。

夫は体育会系で、指輪を付け慣れないためか、指に違和感があるようで、入籍後の半年間、回したり、抜き差ししたり、指輪をいじくるのが癖になっていた。「そんなに触っていたらなくすよ」、釘を刺していた悪夢がついに起こった。

富良野。ラベンダー畑を満喫した後、レンタカーに乗り込み、阿寒湖目指して出発しようとしたそのとき、助手席からハンドルを握る夫の手を見た。なにもない。左手の薬指。

「指輪がない!」

私の叫び声を合図に、捜索が始まった。運転席の上、ポケットの中、運転席の下…ない。

「ラベンダー畑に落としたのかもね。もういいよ。行こう。なくしたのも思い出だよ」嫌みも込めて言った。

結婚指輪は私の退職金で購入した。8万円と8万2千円。サイズが大きい分、夫の方が高い。仕事をしてきたプライドとして、そして仕事を辞めて主婦をするこれからの日々、この指輪を見て、仕事を頑張ってきたこれまでの日々を忘れず凛と生活していくため、結婚指輪は自分で購入したかった。

夫はまだ探している。後部座席まで探し始めた。

「あった!」

普段大きな声を出さない夫が叫んだ。後部座席のシートとシートの間の溝から銀の輪っかが顔を出していた。朝、ホテルを出て、旅行鞄を置いたとき、指からするりと抜けて、溝にはまったのかも。ということは、ラベンダー畑では指輪はなかったのかも。

やっと見つかった指輪を、安堵で満ちあふれた表情で夫は左手薬指に収めようとした。私はすかさず阻止し、ハンカチに包んでバッグに入れた。新婚旅行中、もうこんな騒動は嫌だもん。

飛べるんですか

後藤順さん(58歳、岐阜県)

今から三十五年の前のことだが、新婚旅行ほど慌てたことはない。

神前結婚式での緊張がほぐれ、披露宴でたらふくお酒を飲んだ。次々と友人や同僚が酒を注ぐに来る。それに応えるべく頑張ったのは良かったが、泥酔状態で倒れた。心配する新妻が心配そうに見つめる記憶まで、あとはまったく白紙状態の頭になった。

目を覚ました。一瞬、ここは何処かと不安になったが、ホテルの一室だと判った。隣りで妻のかすかな寝息が聞こえた。カーテンを開けると、夜明け間近な街の風景が見えた。「ああ、俺は結婚したんだ」。その吐息に眠気が襲ってきた。

「起きて、はやく」。悲鳴のような声が耳元で響く。前日、新婚旅行先の沖縄が、台風で欠航だと聞いていた。それが、テレビの情報では飛ぶらしい。その真偽を確かめるべく、航空会社に電話を入れた。 「飛べるんですか」。「飛びますよ」。三十秒ほどの会話を終わった。前日の酒で頭痛ぎみだったが、彼女は旅行鞄に衣服を詰め始めた。「はやく、はやく」。彼女のペースに呑まれるまま、身支度を始めた。

タクシーに乗り込むと、一万円札を二枚、運転手に渡した。「スピードいっぱいにお願いします。飛行機が飛べるんですから」。運転手はそれを受け取ると、約束通りスピードを出した。「世の中はやはり金か」。飛行場に予定の出航時間に間にあった。「新婚さん、頑張って」。運転手の苦笑いに赤面した。

ところが、出航は二時間遅れになるという。慌てる必要がないではないか。ホテルに多くの忘れものを残したまま、それも高いチップを払ったのに、意味がない。

「飛べるんですか」までは良かった。だが、肝心な時間を聞くのを忘れたことを新妻は責めた。あれ以来、妻には頭が上がらない。




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