入賞作品

まるで映画かテレビドラマのようなストーリーです。ハッピーエンドで本当によかった。お幸せそうな様子が行間から伝わってきます。これからもずっとずっと仲良しでいてください!!

「三つ子の魂百まで」

藤井 豊明さん(77才、神戸市在住)

私の故郷は四国の山の中、冬は毎日雪が降っていて、外で遊べない子ども達が集まって向かいの家の下納屋で隠れんぼをしていました。

この家の5歳になる別嬪さんは、いつも私と一緒に隠れ、寒いので「稲ワラ」の中にもぐりこみ、私の膝に抱いてお互いの体温で温め合い、ぽかぽかと気持ち良くなるとねむってしまうこともありました。

いつしか「道子大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるの」と、おませなことを言うようになり、思わず「わが輩は満足じゃ、嫁にしてとらす」と冗談を言いながら遊んだ記憶があります。

19歳のとき、神戸で就職。4年が経過したころに、寄宿先の姉から縁談が来てると言はれたとき、ふと、田舎の道子さんがきっと待ってくれていると思い出したのです。姉の話で本当に待ってくれているか急に不安を覚え、一度道子さんの気持ちを確かめたいと急遽帰省しました。

故郷に帰り、妹に私の想いを話したところ、「道子さんにも良い縁談があり、母親が気に入って、いくら説得しても道子さんが首を縦に振らない。あの素直な娘が、結婚の話になると私のいうことを聞いてくれない、娘の気持ちが分からなくなった」と、悩んでるようでした。私の話を聞いた妹が「道子さんが次から次に来る縁談をなぜ断るのかその理由がいま分かりました。」と、にこにこ笑いながら話します。

妹の表情に勇気百倍して道子さんに直接会い「神戸に一緒に行こう」と言うと、涙を目に一杯ためて、何度も何度もうまずいてくれました。私は万感胸にこみあげて「よく待っていてくれたね」と、力いっぱいに抱きしめていた。

ハッピーエンド賞
(写真はイメージです)

若かったので貯金も少なくて、「結婚式」は近くの八幡様で済ませ、「新婚旅行」兼ねて神戸に帰ってきました。二人はとても仲良く、同窓会でも、喧嘩をしたことがないのが私の自慢です。今も幸せに暮らしています。

その他の応募作品

終わりよければすべてよし!
思っていた旅行とは違ったかもしれませんが、ふたりで過ごした時間はいつまでも輝きを失わないものですね。

相部屋の初夜から

井川一太郎さん(74才、東京都在住)

いまから47年前の東京オリンピックの翌年結婚した私と妻は、新婚旅行先に紀州白浜を選びました。就職直後でお金もなかったので、近場ですませようと思ったのでした。そして、僕らの貧しさを知っていた親戚の人から某大企業の社員用ホテルを紹介してもらい、結婚式を挙げた神戸から夕方そこへ到着したのです。

ところが、その日そのホテルに大きな宴会の注文が入ったために、私たちは近くの民宿に毛が生えたような古ぼけた旅館へまわされてしまったのです。おまけに、そこも満室で、「お客さん、すみませんが、大広間で、相部屋お願いします。」と言われたのです。私たちは新婚とはいえ学生時代から六年越しの仲でしたから、だまってその部屋に入ると、感じのよい高齢の御夫婦との相部屋でした。

夕食をいっしょに食べて一杯やっているうちに意気投合して、ぼくらがその夜新婚初夜だと笑い話でいいますと、お二人の顔色がさっと変わりました。 「すぐ私が最高の部屋を取らせるから、そのホテルへ変わりなさい!人生で一度しかないこの夜を、こんなとこで過ごしちゃいかんよ!私に任せなさい!」

某社の親会社のお偉いさんだというその方の電話のおかげで、ぼくらは迎えに来た大型リムジンで一流ホテルへ運ばれ、それまでに見たことも聞いたこともなかったほど豪華な部屋の中に温泉まである広い特別室へ案内されました。支払いの心配をしていると、挨拶に来てくれた支配人が「ここは某社のおわびで、料金は済んでますからね……」と言って、お祝いのシャンパンをプレゼントしてくれましたので、ぼくらは一生忘れられないすばらしい初夜を過ごすことができました。 完

最初は最悪、二度目は最高の新婚旅行

神旧三千代さん(52才、愛媛県在住)

新婚旅行は二度行った。別に二回結婚した訳ではない。二度目の旅行は運良く当選したのだ。しかも一等の海外旅行だった。この旅行は全く問題も起こらず楽しい旅行だった。新婚カップルが私達夫婦を含めて四組もいて、今でも年賀状を出し合っている仲だ。

問題は一度目の旅行だった。私達はバイクで南九州を旅行した。四泊五日全て天候には恵まれ、十月だと言うのに暑かったのを覚えている。旅行の行き先は全て夫が決めた。

子供の頃ボーイスカウトで全国を廻っていた経験から多少地理に詳しく、又パンフレットで下調べもしていたようである。逆に私はあまり旅行経験がなかったので、全て夫に任せておいたのだった。おまけに初めてのバイク旅行だ。だが全くと言っていいほど危険を感じていなかった。ただ何が必要で、何があれば便利かという知識は夫も解らなかったので、この件に関しては夫の実兄の友達に教えて貰った。彼はよく仲間とツーリングに行くらしく、これがあると便利だという物を色々教えてくれた。季節柄寒いかもと思いトレーナーを数枚用意したが、逆に暑くてTシャツも念のために用意しておけばよかったと反省した。

バイクは風を切るので車と違って服が汚れる事も頭になかった。新婚旅行と言えどおしゃれな恰好ではなくむしろ汚い感じだったと思う。夫はバイクスーツだったが当時女性用のバイクスーツはサイズが豊富でなく、それでも私は皮ジャンと皮パンツ、皮ブーツを揃えた。

結婚式当日は、生理にもなった。まさかと思っていたのだが。フェリー乗り場では時間を急ぐあまりに化粧直しをしていない事に気がついた。手の平につけまつげがポロリと落ちたからだ。慌ててもう片方のつけまつげを取った。この時の写真もあるが二度と見たくないと思った。

旅行最後の日のディナーは、肉料理だったが運悪く私は食事中に歯を欠けさせてしまった。楽しい旅行中に生理になり、歯も傷め散々なものとなってしまっていた。

ジューンブライドは幸せになれます

神代佐和子さん(51才、埼玉県在住)

私達夫婦の結婚記念日は6月8日である。嬉し恥ずかしジューンブライドであった。あれから28年の長い歳月を経て今も続いているのは、やっぱり言い伝えは正しかった?

そんな私達の新婚旅行は北海道であった。ラベンダーが満開になる6月、そしてジューンブライド、雄大な大自然・・・、旅行会社のパンフレットの美しい風景写真とキャッチコピーが私達を招き、決め手となった。

当時2人共九州に住んでいた事もあり、北海道は遠いイメージがあった。また、飛行機に乗ったことがない私には、まるで異国の地に行くような感覚すらあったのである。
結局、北海道をほぼ全部巡る5泊6日のレンタカープランに決定、もちろんラベンダー畑を最初に行く事をメインに計画する。

さて当日、人生初の飛行機でドキドキ、そして念願のラベンダー畑にワクワクしながら夫の運転するレンタカーに乗った。

北海道はやっぱり広い。外国のように広い大きな道路が一直線に続く。
そして念願のラベンダー畑に到着、ところが何だかイメージが違う。想像していたのは見渡す限りの美しい紫色の風景、現実は何故か暗めの緑一色・・・。時期が早過ぎて、ラベンダーはまだ咲いていなかったのである。

私達は唖然としたが、すぐ大笑い。「仕方ないか」とあきらめも早く、次の場所へ移動する。次の摩周湖でも霧で全く見えず退散。

アイヌコタン、ワイン城、滝めぐりと色々回り楽しんだが、途中で寒くTシャツだけの私達はブルブル震えた。でも宿での牛乳鍋やジンギスカンは美味しかったなあ。

かくして5泊6日の新婚旅行は無事終了、計画とは違う場面もあったが、北海道の大自然と夫の優しさ、頼もしさに包まれた大満足の結果となったのである。

私達夫婦の原点は、あの新婚旅行だと今も思っている。

急きょ行き先変更をした理由

鈴木一夫さん(53歳、京都府)

それは彼女の家で新婚旅行の打ち合わせをしていた日のことでした。彼女の妹が突然フランスから帰国するなり「彼の故郷フランスのルマン市の教会で結婚式を挙げるわ」と切り出したのです。

当初私たちは6月12日に式を挙げ、オーストラリアに行くつもりでした。妹に式の日取りを聞くと6月19日にしたいと言います。調べてみると、6月20日がルマン24時間レースの決勝の日でした。私が年に何度も鈴鹿サーキットにレースを観に行っていたことを知っていた妻は「できれば妹たちの式におれたちも出たいよね」という私の提案を、すべて飲み込んだうえで(だと思います)同意してくれました。急遽旅行先をフランスに変更、飛行機やTGVの乗り換え時だけ現地のコーディネーターに手伝ってもらうよう企画してもらい、スイスのレマン湖やユングフラウ、パリでの買い物も組み入れてもらいました。

そして6月19日、私はというと朝から翌日のレースのことで頭がいっぱいでした。ところが、飾り付けをしたプジョー405にドレスを身にまとった妹、おめでとうのクラクションを鳴らしながら通り過ぎて行く見知らぬ人たち、そんなフランス映画に入り込んでしまったような情景に次第に私は引き込まれてゆきました。教会に着くと、鐘が鳴り続けているのが耳に入ってきて、素朴であたたかいフランスの田舎の教会での式に心を奪われてしまったのです。

翌日からもずっとその雰囲気は続いていました。もちろんルマン24時間レースも堪能しましたが、にも増して、新婚旅行全体がまるで夢を見ているようで忘れられない旅行となりました。ユングフラウで私が高山病になり本場のチーズフォンデュが食べられなかったことも、土産物のことで二人が初めてけんかをし、隙をつかれて財布をすられたことも、いまとなってはすべてがきらきらと輝くような思い出です(妻もきっとそうです)。



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